出発。


未だ日の出ぬ早朝。

メフィスト病院の裏にある、院長専用の出入口前にせつらはいた。
特に寒い訳でもないのに頻りに両腕や肩を擦ったり、辺りをキョロキョロ見回してみたり、思い出したように美しい手櫛で髪を直してみたりと、落ち着きがない。
白い医師――正確にはそのダミー――によって決行された旅行の当日である。
最初、メフィストがせつらの家まで行くと云ってきたものを、ぶっきら棒に断ってせつらの方から出向く形にしてもらった。
家で待っているという事が出来そうになかったからである。
ちらりと腕時計に目を遣った。
現在5時2分。待ち合わせは6時である。
せつらは、深い溜息をついた。
自分に対して、である。
「ねえ」
とせつら。
「何?」
と、今度もせつら。
初めの方が茫洋とし、応えた方は冬のような声であった。
「どう思う?アレ
「さあ。幻十の云うことなど、9割9分は気に留めん方がいい」
「うーん・・・」


“僕”と名乗るせつらの云う「アレ」とは、支度の時に幻十の口走った一言が発端となった話題である。
曰く、もう待ってるのかもよ?
せつらとメフィストの関係は、一応、恋人同士と云ってもいいのではないかという状況であると思われる。
早い話が、ズルズルと今に至っているのである。
特にどちらかが告白した訳でも、キスをした訳でも、以前と何かが大きく変わった訳でもない。
何となく、前よりは付き合いが多くなったような、積極的になったような・・・程度でしかないのである。
そこへ、今回の温泉旅行である。
おかしな期待と焦りがないというと嘘になる。
何とも、精神的に不安定なせつらであった。



ふと、背後からパタパタと足音が聞こえてきた。
何となくビクッとしながら、せつらは振り向く。
同時に白いドアが勢いよく開かれ、慌てた様子の影が飛び出してきた。
「せつら!!」
「・・・メフィスト」
「いつ来たのだね?こんなところで待っていなくとも、中に入ってくればよかろうに。何かあったのかね?私の方で時間を間違えていたかね?それとも―――」
「おい」
「――何かね?」
「とりあえず、入れてくれ」



「君は時計の読み方も知らんのかね?」
白い医師は、手を口元に添えて笑いながら云った。
院長室にまでの道すがら、先程の雨のようなメフィストの質問の答えに対する反応である。
「時計が壊れててね」
と返すせつらの美貌は秘かに唇を尖らせた。
現れた時の慌てぶりは、今のメフィストには微塵も見当たらず、寧ろ楽しげである。
そんな後ろ姿に、せつらは舌を出した。
「ところでせつら」
クルッと振り返ってくるメフィストに、慌てて舌を引っ込める。
「こちらも支度は整っていることだし、少々早めに出るかね?」
柔らかな微笑と共に、小首を傾げるメフィスト。
「いーよ」
と答えつつ、せつらも小首を傾げた。
メフィストの様子の違いをどう解釈したものか、と内心呟いた為である。




今回の移動方法はメフィストのリムジンだった。
何せ〈区外〉。当然と言えば当然である。
病院を出てから数時間が経過していた。
車の外は〈区外〉の景色に変わって大分経っている。
後部座席に並んだ黒白の二人は、終始無言であった。
無駄に緊迫した空気が流れている。
「――今度のことをどう考えているのだろうか。やはりアレが強制したかもしれん」
と考えているのはメフィストであり、
「く、空気重い・・・。今度のこと、どう思ってんだろ、コイツ」
と落ち着きのないのがせつらである。
どちらにしても、思い詰めた空気であった。
せつらは、右手で左の肩を揉んだ。――因みにメフィストは右隣りにいる。
「疲れたかね?」
「うーん」
「どこかで休むかね?区外に出てから休憩をとっていない」
「あと、どれくらい?」
「・・・もう、すぐだな」
「じゃ、いいや」
このぎこちない会話から約30分後。
黒塗りのリムジンは人気のない山奥の、小さな旅館の前に止まった。






3→
「私」と「僕」の会話。意外と仲良し・・・だったらいいな♪