私が、私の居所をはっきりと決めたのは、拾われた夜のことだった。
ベイスという男性、トルクという女性の勧めにより、その家の“息子”になることとなった。

「今日から僕らが、君のお父さん、お母さんだ。」
「はい。」

その日から、彼らが私の“両親”になった。

「そうだ、名前を決めないと。」
“お父様”が言った。
「ねぇ、私に、考えがあるんだけど・・・」
“お母様”が私に合わせてかがんだ。

「メフィスト」

お父様は一瞬びっくりしたような顔をしたが、すぐに納得して、

「ああ。それがいいだろう。」

と言った。


私の名前は“メフィスト”になった。


その理由は知らなかった。


理由を知ったのは、それから随分経ったある日のこと。
偶然手にした本の中。

ああそうか――

妙に納得した自分。



よみがえる記憶。

父が削りだした、黒い仮面。

美しい、ライン。

『人前に出るときは、必ずしなさい。』

さして理由も聞かず、何も考えず、抵抗せずに受け取った木の手触り。

顔にソレが触れた時の、冷たい感覚。



不敵な笑み。
誘惑の言葉。



常に悪を欲し。


常に善をなす。


その、力の一部。









お母様は――









「私の()に、悪魔の名をつけたのか。」

















「村を・・・出る?」
「ええ。家は、どう処理しても良いようですよ。」
役人は、ちらりとセツラの顔を見て頬を真っ赤に染め上げ、慌てて眼をそらした。

「で、なんで、客人のあんたが来たんだ?」
「トルクさんは病気ですし、息子さんは推定16歳なので。」
「そうかい。」
役所はセツラの顔見たさで集まった村の女たちでごった返していた。

「そういえば・・・・・・今度から、新しい制度ができたんだ。」
「制度?」

役人は書類を一枚出した。

「これを、セイゲン様の処へ。」
「・・・・・・・。」

セツラは茫然と手元のそれを見た。

1・これまでの恩恵のお返しとして、金品、その他を置いていく。
2・これまでの恩恵のお返しとして、出村後、数年は仕送りをする。
3・セイゲン様に対する恩義を忘れない。
以上、3目を、死守することを誓う。

「・・・・これに、サインをして持って行け・・・・・と。」
「ああ。まだ始まったばかりの制度で、3名しかサインしていないが。」
3人もサインしとんのか――とセツラは宙を仰いだ。
「とにかく、セイゲン様のところへ。」
「はーい。」
セツラは、心の中では、ばっくれてしまえ――と思ったが、表面上は素直に返事をした。

役所を出てすぐ、セツラは異変に気づいた。
村、唯一のあの居酒屋が、しまっているのだ。
セツラは素早く周囲を見渡した。
すぐに分かった。

男が、いない。

もう、充分暗い。
農作業は終わっている。

役所に戻る。

「今日は、何かあるんですか?」

ひょっこり戻ってきたセツラに役人たちはぎょっとしたが、すぐに余所行きの笑顔を作った。
「さあ、知りませんね。」
「男性が、見当たらないんですが。」
「はぁ。どこかに飲みに行ったのでは?」
白々しいまでの笑顔。

それが、急にこわばった。

「遊んでいる暇はない。」

目の前の、青年のせいで。






「正直に、吐け。」













「 ひる と よる と ねこ の なきごえ と くるみ の あく」

蝋燭ひとつに照らされた薄暗い部屋で、メフィストは歌を歌っていた。

「 昼 と 夜 と 猫の鳴き声 と くるみの灰汁 」

シミひとつないきれいな歌声。

「 蛭 と 依る刃根 子の泣声と 来る 身の悪 」

白いケープに包まれながら、その声は夜気が浸みこんだ水底のように闇によく似合う。

だが――

「おい。」

ドアの外からの、野蛮な声。

メフィストは、ゆっくりと顔を上げた。

「何でしょう。」
「用がある。出て来い。」

メフィストはうっすらと笑うと、

「すこし、お待ちを。」

黒い仮面をつけた。













闇に包まれた森の中を、闇よりも黒い影が疾走する。

美しき闇の結晶、セツラである。
月光も届かぬ暗闇の中を、殆ど音も立てずに、信じがたいスピードで走る。
月光の入る、少し開けた場所へ出た瞬間――

「お待ちください。」

前方からの声に、美しく急停止する。
十数人の男たちが木の蔭から姿を現す。


男たちは、月光の下へ。

セツラは、森闇の中に。


「セイゲン様の命です。あなたをこの先に通すわけにはいきません。」
男の一人が、よく通る声で言った。
セツラは、動かない。
「お戻りください。」
別の男が声をかける。

「先を急ぐ。」

闇が口を開いたかのような冷たさだった。
男たちは、一瞬戦慄したが、後には引き返せなかった。

「急ぐ必要はありません。行く必要が、無いのですから。」
「それは、お前たちが決めることではない。」


セツラの右手が、上がっていく。

「話は聞いた。」

美しく。

「邪魔者は、消す。自分の手でではなく、村人たちの手で。」

闇を纏ったまま。

「何人、殺してきた?」

ゆっくりと。右手が。


「残念だったな。」


右手は、真上まで上がり、ピタリと止まった。
男たちが身構える。

「数分前までなら――楽に死ねただろうが・・・・・」


セツラが、一歩前へ出た。

男たちが息をのんだ。

月光にさらされた、その微笑を、目の当たりにして。




「ここからは――“私”の時間だ。」




右手が優雅に振り下ろされた。





――――血の匂い。
















「こっちへ来い!!」

無理やり腕をひかれ、土の上に倒れる。
土のにおいを、深く吸い込んだ。

「トルクはどこだ!?」

どなり声と共に、引き起こされる。
握られっぱなしの腕が痛かったが、あとはどうでもよかった。

不思議なくらい、落ち着いている。

「おい、醜い少年よ。」

汚らしい声に、顔をあげると、昔一度会ったきりのあの醜いセイゲンの顔があった。
セイゲンは、偉そうに口を開いた。
「おとなしく、トルクの居場所を吐けば、楽に殺してやるぞ?」
ニタニタ笑いながら顔を近づける。
嫌悪感に顔をしかめる。

「母は、この村を出ました。」

素直に答えた。
出た時間から考えると、隣村にとっくに着いているころである。
しかし、
「嘘をつくな!!」
体が揺さぶられる。

腕が痛い。

「ほう。」
セイゲンの口から、聞き苦しい声が漏れた。
「お前、その面。以前のものとはずいぶん違う。」
美しい――と気味悪く破顔した。

「その仮面まで失うのは惜しい。よこせ。」

伸びてきた手を、掴まれていない方の手で激しく打払う。


「この野郎!!セイゲン様になんて事を!!」
横にいた村人が拳を振り上げた。



鈍い音。



全てが止まった気がした。


「な・・・に・・・?」

村人の、情けない声。

痛みはほとんどなかった。

何が起きたのかわからない。

声もなく立ち尽くした村人たち。

間抜け面をさらすセイゲン。

ふと、足元を見た。


「あ・・・・・・」


カラカラと音をたてて転がる黒い仮面。

衝撃で滑り落ちたフード。

ゆっくりと、手で、己の顔に触れる。

ようやく、理解した。




村人の拳は、仮面にあたり、ソレを弾き飛ばしたのだった。













「どけ。」

美しい黒衣が翻り、わだかまった村人たちが切り倒される。
優雅に振られる腕。
噴き上がる血。
朱の道を、美しい影が走り抜ける。

セツラは、足を止めた。

動かない村人。
足もとに転がる黒い仮面。
打ち捨てられた白いケープ。

すぐに状況が理解できた。


「・・・・・遅かったか。」

「お客人・・・・。」


村人が顔をあげる。

「あの子は・・・・なんて、怖ろしい・・・・・」

「メフィストはどこへ?」

春霞のような長閑さで尋ねた。
村人は逆に恐怖した。
いっそ、“私”のままの方が納得しただろう。

呆然としたままの村人。

彼の通った血濡れた道。

その横に転がる手足のない残骸。


なんで、この若者はそうしていられるのだ?――――


「メフィストは、どこに?」

再びの問いかけ。

「あ・・・・・セイゲン様の・・・・・家へ。もう、随分、前に・・・・・。」
「ありがとう。」

さっと身を翻す美神を、村人はただ見送るしかなかった。













「さて、説明してもらおうか?」

セイゲンの部屋は、巨大な窓からの月光のみに支えられていた。
明かりは点っていない。
まるで、何かを恐れるかのように。

絨毯の柔らかな感触。
不慣れなメフィストには不愉快だった。

「どういうことだ。ソレは。」
「ソレ、とは?」

とぼけるな!!――とセイゲンが怒鳴った。



「その、・・・その顔だ!!」




ゆるゆると、メフィストは顔を上げた。




その、美しい顔を(、、、、、)






月光に洗われたかのような白い肌。

どんな巨匠も描けないであろう、美しい曲線を描く眉。

闇と呼ぶにふさわしい、黒水晶を思わせる瞳。

夜露を含んでいるかのように濡れた紅い唇。

純白のシャツの上を滑る、絹糸を思わせる漆黒の長い髪。






傷一つない(、、、、、)――


「あぁ。コレかね?」

ふふ――とメフィストは微笑した。
セイゲンがくらくらと後退さる。

「何故だ。何のために・・・・」
「わからんのかね。」

君のためだよ、セイゲン――とメフィストは言った。

「私の・・・・・」
「私がコレをつけ始めたのは、拾われてすぐだ。」
立ち上がる。
長い髪が流れる。

「拾われてすぐにお前が来た――正確には、それからだ。」

村の中で、次々と信者を作っていくセイゲン。
村のはずれにあるメフィストの家に来る前に、噂は大分伝わっていた。

信者の家から、金品や女の提供を受け始めたことも。

「父と母は、お前が私に興味を持つことを恐れたのだ。顔を見せれば――現にこうして、私はここにいる。」

メフィストは芝居がかった仕草で両手を広げた。

「成る程な。しかし――」
何と美しい――とメフィストに近づく。

確かに、月光に照らしだされた少年は美しかった。
その美貌は、セツラが“私”と自らを呼ぼうとも、劣らないといえた。

「素晴らしい。芸術品というには出来すぎているな。」
「近寄るな。煩わしい。」

メフィストは面倒臭そうに言った。
セイゲンの笑みが深くなる。
醜く太った手が、メフィストの方へ差し出される。
「お前の母親は罪を犯した。規約にサインをせず、村を出た罪だ。」
「規約?」
新しくできた規約だ――訝しげに訊くメフィストに言った。
セツラが受け取った紙のことだろう。
「その罰を、受けねばならんぞ?」
セイゲンが、左手を広げた。

「あ・・・・」

メフィストの体が大きく傾いた。
「私は、こういうことは得意でな。」
そのまま倒れこむ美しい体を支えようとセイゲンは腕を伸ばした。
「私と、遊んでもらおうか。」

その腕が、静止した。

不思議そうな顔をして己の胸元を見つめるセイゲン。

細く、白い、美しい腕が体内にめり込んでいた。


「ぐあぁああ!?」

痛みはなかった。
驚愕で叫びがあがった。

「催眠術。――村人は、自分が一番驚く奇跡を見る(、、、、、、、、、、、、)という催眠術をかけられた。だから、あんなにもお前に心酔できた。」

ゆっくりと口を開いたのは、倒れ掛かっていたはずのメフィストだった。

「お前・・・・!?」
人間(、、)にかけるつもりでかけても無駄だ。」

顔が上がる。
セイゲンと間近で顔を合わせる。

「残念だったな。」

艶やかに笑った。
奇しくもそれは、同じ言葉を口に乗せた時のセツラのものによく似た笑みだった。

腕が、引き抜かれる。

恐怖に顔を引きつらせ、後退さるセイゲンの目の前に、ソレ(、、)が突き付けられた。

「こんなもの、触りたくもないが――」

「!?」

神の彫刻したものに間違いない美しい繊細な指が、ソレ(、、)に食い込む。

「ぐおぁああ!!」

「まぁ、仕方がない。」

今度こそ、苦痛で悲鳴が上がる。

心臓を弄ばれる苦痛に(、、、、、、、、、、)

メフィストの手にしたソレは、間違いなくセイゲンの心臓だった。

「さぁ、何をして、遊ぶのかね?」











黒衣の美姿がセイゲン宅のバルコニーに降り立ったのは、月が真上に差し掛かった時だった。
フランス窓を、ゆっくりとその繊手が開いた。

か細い音に、小柄な人影が振り返る。

「ああ。セツラ。」

月光にその白く輝く姿を映し出す少年と、その向こうの暗闇でのた打ち回るセイゲン。

「メフィスト。」
セツラが、その名を呼ぶ。

「“私”が来るまでもなかったようだな。」
冷酷に、奥に転がるセイゲンを見下ろす。
「驚かんのだな。」
メフィストが微笑した。
「トルクさんに、聞いていた。」
セツラも口元に笑みを乗せる。


美しい白と、美しい黒が対峙する。

顔を晒したメフィストと、己を“私”と呼ぶセツラ。

その対面の、何と美しいことか。


「ナルホド。これは・・・・」

この世のすべてを飲み込むような闇の質量をもって、セツラはつぶやいた。


「悪魔の名に、ふさわしい。」


その言葉に、メフィストは嬉しそうに小首をかしげて見せる。
「セツラに言ってもらえるとは。」
「褒めているのかどうか、わかないぞ。」
そういうと、両手を広げた。

「行こう。メフィスト。」

闇をも呑み込む魔鳥が羽を広げたように見えた。

「ああ。」

手にしていた塊を後ろへぞんざいに放ると、メフィストはセツラのもとへ駆け寄った。
黒い腕が、白い体を包み込む。



風がフランス窓を閉じたとき、既に、美しい一対の黒白は消えていた。



後には、くどいほどの極彩色と、泡を吹くセイゲンだけが残った。


セイゲンの左胸では、その鼓動が確かに響いていた。










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