その日、その夫婦はいつもより晩くまで仕事をしていた。
二人が家路に着いたときには、もう、すっかりと日が暮れていた。
帰りが遅くなったこともあって、夫婦はめったに使わない近道を通ることにした。
狭くて細い急な坂道。
半ばまで来たとき、
「あれ?あそこに、子供がいるぞ?」
夫が慌てて駆け寄った。
「こんな時間に?」
妻も後を追う。
坂道のすぐわきに生える木の下で、その子供はうずくまっていた。
白い薄手の布を頭からかぶり、細い腕で膝を抱えていた。
「どうしたんだ?お母さんは?」
「・・・・おかあさん?・・・いません。」
「いないって、お父さんは?」
「・・・いません。」
夫婦は顔を見合わせた。
「いなくなっちゃったの?」
妻が優しく聞く。
「いいえ。いなくなったのではなく、もとからいない(、、、、、、、)のです。」
夫婦は困惑した。
「・・・・・・お名前は?」
「まだ、つけていません。」
「つけてないって・・・・・」
「そのうち、かんがえます。よい、()はありますか?」
夫婦はいよいよ混乱した。
「え?親もいなくて、名前もないって・・・・もしかして、自分のこと、思い出せないの?」
「記憶喪失か?昔のことが思い出せないんだな?」
夫婦の見解は、しかし、外れた。
子どもは、布の奥でクスリと笑って、

「おもいだせない?いいえ。()がないのはとうぜんです。むかしがない(、、、、、、)のですから。」

楽しそうに言った。
夫婦は再び顔を見合わせると、どうしようか――と目で会話をし、
「とにかく今日はウチに来なさい。ね?」
「ああ。もし、本当に親がいないのなら、ウチで引き取ってもいいんだ。」
どうする?――と子供にやさしく微笑みかける。
「・・・・・本当・・ですか?」
「ああ。いいとも。なぁ、トルク。」
「ええ。ベイスが言うなら。私は構いませんよ?」
夫婦――トルクとベイスはにっこりとうなずきあった。
子供はすくっと立ちあがった。
白い布をのける。
「!!?」
月光の下に現れたその顔を見て、夫婦は戦慄した。
「おせわに、なります。」

子供は、不器用に笑った。
















「これは?」
「毒草。」
「うーん、じゃ、コレ。」
「毒草。」
「うーーん、これは?このキノコ。」
「猛毒です。」
「うーーーん。」

早朝の森の中。
夜が置き忘れたかのような美しい黒衣の青年と、朝の光をよく含んだ白いフード付きのケープの少年が、食料調達に来ていた。
セツラとメフィストである。
天余の美貌をもった長身の黒尽くめの青年が身をかがめて半ばムキになって茂みを睨みつける図は、まことに不釣り合いであったが、妙に絵になった。
先程から、尋ねるもの、尋ねるもの、全て非食用――しかも有毒なモノばかりであるというのは、コレはもう一種の才能ともいえた。
唸るセツラをよそに、メフィストはどんどん籠を満たしていく。

「さて、もう十分集まりましたよ。セツラさん。」
振り返り、まだ茂みをにらみ続けているセツラに声をかける。
セツラはメフィストのほうを見て、
「ね、昨日の喋り方しないの?」
と小首をかしげた。
しゃがんだまま上目づかいに首をかしげる様が妙に似合っている。
メフィストは大いに戸惑って、

「・・・・・・した方がいいですか?」
「うん。おもしろい。」

どうしたものかとこちらも首を傾げた。
セツラのいつもの茫洋とした表情が、どことなく期待に染まっているような気がして、メフィストはため息をついた。

「承知した。ただし、敬語は使わせていただく。」
「わーい。」

ほとんど棒読みで喜ぶセツラに、困ったな――という視線を投げかけて、メフィストはもうひとつ
ため息をついた。
「しゃべり方など、気にしなくてよろしいのだが・・・」
ぼそりと呟く。
「いやいや。大事だよ。」
のほほんと言ってのける美しき黒い姿に、
「では、いきましょう。」
口元で微笑した。












「なんだとおぉぉぉおぉ!?!?!」

品のない絶叫が上がる。
セイゲン邸の大広間。
もちろん、絶叫の主は“セイゲン様”である。
「どういうことだ!?」
「ですから・・・・・あの少年が・・・・・・」
報告にきた男がへどもどと対応する。
“セイゲン様”は顔を赤くして叫ぶ。

「あの気味の悪いガキか!?」


とても聖人の言葉とは思えない。

「あのような醜いモノのところに、あのような・・・」
セイゲンの顔は怒りとは違う理由で赤く染まった。
「あのような美しい若者がいるとは。」
許せん――と、再び怒りの朱に染まった。
「私は、美しいものなら何でもそろえてきた。この家も、調度品も、全て一級品だ。しかし・・・・」
セイゲンは集まった手下の男どもを見回した。
「人間だけはどうともしがたい。」
「し、しかし、セイゲン様――これでも、随分と、村から見目美しい女子供を提供してきたではありませんか。」
「あんなもの、あの青年に比べたら、ゴミに等しい!」
そんな――と嘆く男たちに目もくれず、セイゲンは何やら考えている風だったが、


「コロセ。」

「は?」

狂気に駆られた表情で顔を上げた。

「トルクと、その息子を処刑するように村人に伝えろ。」

男たちは顔を見合わせると、
「で、罪状はどうなさるのです?」
と、呆れた風に言った。

まるで、こんな事態は慣れているとでも言うように。

「これから、あいつらが罪を犯すと占いに出たと伝えよ。そうだな・・・・こんなのはどうだ?」
近くの男に、耳打ちする。
男は、ははぁナルホド――と頷いた。
踏ん反り返って座りなおす“セイゲン様”に、男たちは、

「かしこまりました。」

と、深々と一斉に頭を下げた。












トルクの家では、穏やかな時間が流れていた。
庭で、セツラとメフィストが洗濯物を干している。

「それじゃ、君のお父さんは“セイゲン様”に殺されそうになって逃げたわけだ。」
「ええ。」

セツラは、ベイスが語らなかった事について、メフィストから話を聞いていた。

メフィストは、手を一時も休めずに話を続ける。

「父はまったくもって、運だけは強い方でね。処刑が言い渡される前に本人いわく“安全”な場所に逃げた。まさか、それが“新宿”だとは。」


いつの間にやら、敬語もすっかりとれて、完全にセツラに懐いているようである。

子供の容姿に、子供とは思えないほど落ち着いた声。アナクロな喋り方。
妙に可愛らしい。

「お父さんは何でセイゲンに?」
「この村には、セイゲンの作った“生贄制度”というのがある。年に2,3回、10代の少年少女が生贄としてセイゲンのもとに提供される。数か月で戻ってくるがね。本人は、村を守る大切な儀式だと言い張っているが――」
ちらり、とセツラの方を見る。

「帰ってくると、その間の記憶が朧げで、精神に異常をきたしているものも多い。どうやら、見目美しい子供ばかりが選ばれている――つまり、セイゲンが犯しているらしい。」
「わあ。」

セイゲンの行動にもあきれたが、少年の口から、簡単にとんでもない言葉が出てきたこと自体にも驚いた。
「父は、セイゲンの正体を突き止め、村人たちの目を覚まそうとした――それがバレたのだろう。そもそも、私がセイゲンに嫌われているのでね。」
「ナルホド。」
「セイゲンが来たのは、私が拾われて間もなくのことだが、何をやらかしたのかは知らんが、この村のほとんどの人間が、“奇跡を起こした”と言ってセイゲンに心酔した。」
セツラはふと、手を止め、
「何をしたか、知らないの?」
「ああ。家に一件一件“奇跡”を見せて回っていったらしいのだが、その時、家にいたのは、私だけでね。」
気味が悪いと言って出て行ってそれっきりだ――とメフィストは馬鹿にしたように笑った。

「また、当時はこの面ではなく、荒削りの間に合わせだったからな。」
「怖さ倍増?」
「その通りだ。」

顔を見合わせ、くすくすと笑う。


その様子を、トルクは家の中から見つめていた。

外の光に依存して、薄暗い室内。
窓の外の、切り取られた風景。
美しい、黒衣の青年。
黒い仮面の下で、楽しそうに微笑む息子。

それを、随分と長い間見つめていたが、ふいに、

「そうよね。」

そう呟いて、ゆっくりと、きつく目を閉じた。













「セツラさん。」
「はい?」

その夜、トルクは、メフィストが水汲みに出たのを見計らってセツラに声をかけた。

「なんでしょう?」
「お話が――あるのです。」
「?」

外は月が出ていて、その月光が、蝋燭の明かりだけで照らし出された室内に容易に入り込んでいる。
その月光と夜気に押されるようにして、トルクは決心したように、ゆっくりと息を吸い込んだ。


「あの子を――メフィストを、“新宿”へ連れて行ってください。」













「おい、セイゲン様から、処刑の命令が出されたぞ!!」
一人の男が、血相を変えて、店に飛び込んできた。
例の居酒屋である。
「誰が罪人だ?」
「トルクと、その息子だ。」
思ったとおりだ――と客たちが騒ぎ出す。
「あのガキ、気にくわねぇわけだ。」
トルク宅へおしかけたひとりと思われる男が毒ついた。

「で、いつ?」
「明日の夜だ。」

誰も異を唱える者はいないらしい。
“セイゲン様”は絶対なのだ。

「とにかく、あのお客人をどうにかして外へ出さないと。」
「それは、セイゲン様が何とかするそうだ。」
「トルクたちには気づかれないように。特にあのガキは何かと鋭いからな。」
ふと、一人の男が、
「なぁ、殺す前に、あいつの顔をみんなに曝け出すってのはどうだ?」
「いいな。泣いて嫌がるぜ。きっと。」
「どんなに醜い顔だろうな。」
すでに、彼らの頭の中には残虐な殺戮シーンが描かれているに違いなかった。

「で、何をやらかしたんだ?」
店主が興味津々で尋ねる。
「これからする、と占いに出たそうだ。」
「で、何を?」
店主の問いに、男は荒い息をどうにか落ち着けていった。

「村人を、皆殺しにするそうだ。」












「お母様。お話とは?」
翌朝、メフィストはトルクに呼ばれて部屋を訪れた。
トルクはゆっくりとメフィストを手招くと、
「実は、お父様が今、この隣の村に来ています。」
「!?」
驚愕に、仮面の奥の目が見開かれる。
「それは・・・・」
「お父様と、昨日、セツラさんを通じて話し合いました。やはり・・・・私だけが我儘を言ってはいられません。この村を、出ましょう。」
「では、三人で“新宿”に?」
メフィストの問いに、ゆるく首を振ると、

「“新宿”へ行くのはお前だけです。」
「――なんでです!!?」

トルクは優しく微笑むと、
「お前はそもそも、私たちの手に余る存在だったのです。もちろん、困る――という意味ではありません。お前の存在は、私達にはおよそ手の届かない所にいるべき存在だったのです。お前を拾って、その、姿を見た時から、私は分かっていました。」
「そんなこと・・・・・」
「でも、きっと、あそこなら、あなたを迎え入れてくれるはずです。」
あの黒衣の美神が居られるのだから――とトルクは笑った。
「私は、まず隣の村へ行き、その後はお父様と相談します。私の体力がもつかどうか――」
「お母様・・・・・」
「今日、セツラさんが私たちの代わりに――私は動けないし、お前は子供だからね――村に出村の届け出を出してくださるそうです。私はもうすぐ車が来るはずですから、一足先にそれで出ます。」
次に会うのは隣村で、お父様と一緒に――とトルクが告げる。
メフィストは、しばらく俯いていたが、

「お母様とお父様がお決めになったのなら、それで。」

そう言ってほほ笑んだ。




トルクが車に乗り込み、村を出たのは昼過ぎだった。
村人たちの神経を荒立てないように目立たない道を行ったのだが、これが、身を救うこととなった。
何しろ、村人たちは、トルクも処刑するつもりだったのだから。




「どうする?メフィスト。一緒に行く?」
「いや。闇の住人たちに別れを告げていない。」
そう言って、薄暗い森を見つめるメフィストに、
「ねぇ、こないだも言ってたけど、住人って?」
セツラは首をかしげた。
「名づけられざる有形――もしくは、名づけられし無形。」
「うーん。僕にはよく。」
「“新宿”にも居ると聞きくが。」

ふ、と唇に笑みを乗せて、
「とにかく、私が行っても、ややこしくなるだけだろう。その美貌で役人を籠絡して来たまえ。」
子供のくせになんてことを――とセツラは睨みつけたが、迫力はなかった。
「お前、何歳だ。」
「いくつだと思う?」
「・・・・18。精神年齢は35。」
「推定16だ。」
「わお。」
セツラはまじまじとメフィストを見つめ、
「判断材料が声だけだからいけないのかな。」
「その前に、私に人間年齢をあてはめること自体が違うのかもしれん。」
「は?」
思わず首をかしげるセツラに、


「両親は、拾ったときを5歳としてカウントしている。しかし、私の認識では、私は数えで11だ。拾われる直前――いや、父が私の姿をあの木の根元に認めた瞬間に、私はこの世に創られたのだから。」

私はそう認識している――とメフィストは言った。
セツラは淡々と語るその横顔を見詰めた。

「お前は、ホントに、“新宿”向きだな。」

優しく微笑んだ。

「とにかく、籠絡してくるから、住人とお別れしたら家で待ってて。」
「承知した。頑張りたまえ。」

お互いにくすくす笑うと、二人は別れた。





日が傾く。





夜が近づいていた。









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