今宵、魔界といわれるこの街には、細かな雨が降り注いでいた。
人々の姿は極端に少なく、瓦礫の合間で闇の動く気配がするばかりの夜であった。
〈新宿〉の外れに近い道を、白い影が歩いていた。
歩みを進めるごとに、妖物融解度99%の雫にしっとりと濡れた黒髪が、やわらかに頬を愛撫する。
僅かに重みを増したであろうケープは、しかし、白という名で存在していた。
〈新宿〉の雨に誘われ出でたる妖物らが、自らの醜さ故に、闇に潜んだまま姿を現さない。
全ての者が恐れる、その姿の美しさよ。
ドクター・メフィスト――〈魔界医師〉
メフィストは、西新宿ゲートへ続く通りを歩いていた。
朝から降り続く雨など気に止めた風もなく、目的の場所を目指す。
即ち、秋せんべい店。
閉店時間をとうに過ぎた店には、シャッターが下りている。
迷うことなく、その足は裏口へと向かった。
戸口の前。
メフィストは、その白美の鼻梁を僅かに上へ向けた。
空は、この街に相応しい色をしていた。
降りかかる細雨を厭うように、黒水晶が嵌め込まれた眼を僅かに細める。
何を想うのか、朱い唇が微笑みを映す。
ああ、これほど美しく、この雨に似合う者があろうか。
すぐに表情は元に戻り、白いケープを割って表れた白い手が、インターホンへと伸ばされた。
「全く、君に相応しい天気だな。」
インターホンと同時に入り込んできた白い男は、開口一発目にそう漏らした。
見れば、その姿はここまでの交通手段を物語っていた。
しっかりと水分を吸収したであろうケープ。
いつもより落ち着いて見える黒髪。
この街の雨の匂い。
「あんた、歩いてきたのか。」
「気分だ。」
「人の家に来るのに、普通ないだろ。」
「すまない。」
素直に謝られると、こちらでも言う事がない。
といっても、本気でそう思っている可能性は、この街の「犯罪件数0」の実現より低い。
仕方なしに風呂場からタオルを持ってきて、三和土に突っ立っている彼の頭から被せた。
「ところで――」
「何かね?」
「何の用?」
メフィスト病院の屋上である。
黒白の影は、雨に燻る街を見下ろしていた
彼らの背後には、どこから持ち出されたのか、小さな名ばかりのテーブルが置かれている。
その上には、店から持参したせんべいと道中で購入した団子。
そして、せつらの美しい右手によって振り回されているのは、道端で引っこ抜いてきた芒。
「肝心のものがないじゃん。」
芒を左右に振り回し、それを目で追いながらせつらは呟いた。
「だから言ったのだ。君らしい天気だ、と。」
「月見だと、せんべい売れないんだよね。」
「新作でもだしたらどうだね?」
「前、月見せんべい出してみたら飛ぶように売れた。」
「ほう。」
「警察沙汰一歩前になっちゃったのよさ。」
数年前に、月見団子に対抗して「月見せんべい」なるものを、当日限定で出したのである。
見事に狙いは的中し、開店後10分23秒で完売した。
ところが、最後の1枚を買った客にその真後ろにいた客がレーザー銃を発砲。
孝か不幸か、最後の1枚を手に入れた客も区民であり、レーザーを軽々防いだために怪我はなく、店の天井に穴を開けただけとなった。
ただ。それを切り札に、争いは次々に他の客を巻き込み大騒ぎとなったのである。
結局、店長が店に顔を出したことで全員が戦意喪失し、その場は収束した。
「――店がね。」
「大変のようだな。」
「まーね。」
どちらも、心にもない様子で呟いた。
雨は、先程までの「降る」というよりも、風に舞うかのようになった。
濡れている筈のメフィストの黒髪が雨のように闇のように、僅かに重たげに、風に流れた。
この髪は雨の滴すら、自身を飾り立てるものとして取り込んでしまうのかと、せつらはぼんやり眺めた。
「おや。止んできたようだ」
男が歌うように言う。
誘われる様に、せつらはメフィストへ硝子の瞳を向けた。
僅かに上を見上げた白い頬に漆黒の髪が纏わる。
無意識のうちに伸ばされたせつらの美指が、一筋一筋を愛しむようにそっと払い除けた。
同じ色の瞳が、不思議な色を湛えて振り向いた。
驚きと戸惑いと好奇の色であった。
白い美指は、そのまま髪先の方へゆっくりと辿っていく。
滴を含んだ髪はやはり何時もより重く、冷たい。
流れた髪先は留まることなく、せつらの手を離れていった。
せつらの瞳は、残された自身の指を見つめていた。
「私はここにしかいられんよ。」
雨に濡れる唇が囁いた。
雫の滴る髪が黙然と肯く。
上げられた瞳に、月光を煌かせた雨を纏う白美の影が映された。
その、どこか幼さがちらつく微笑に、美しく整った唇が近づいていった。
掘り出し物シリーズ(シリーズ?)
折角のスーパームーンの十五夜のチャンスを逃してしまった・・・
それにしても、月とか夜とか闇とか・・・「陰」に魅かれる烏兎。。。
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