そこは、どこまでも夜の空気に包まれていた。
天も地も風も、夜色に染まっている。

純白に輝くケープに身を包んだ彼は、夜の世界に唯一、白という色を落として存在していた。
宇宙の果てを映したような黒瞳を、白い瞼がゆっくりと覆う。
長く整った睫が、きらりと星の光に黒く輝いた。

神が瞑想に耽る時間は、極僅かであった。
純白の彼は、再び瞳を開いた。

夜の世界に、ふと漆黒の影が、月光を浴びて立っていた。
その姿は、彼の黒水晶の瞳にはっきりと映っているのに、脳に結ぶ像は黒い影ばかりであった。

ただ、美しい影であった。

漆黒の彼が、朱い唇を僅かに開いた。
その動きは不規則で、どうやら、何かを囁いているようであった。
それはしかし、届くのは闇ばかりで、囁きが鼓膜を揺るがす事はない。
それでも白い彼は、聞こえぬ声に耳を傾けるように、じっと漆黒を見つめている。

美しい闇は、しきりに話しかけてくる。
時には白い繊手を優美に動かしては、口を動かしている。
それは、時に茫洋とした春風のようでもあり、時には凍てつく真冬の氷のようでもあった。


不意に、闇は口を閉ざした。
聞こえぬ物語は、終わりを迎えたのだろうか。
漆黒の彼は、佇んだままの白い影を見つめ、そして、ふ――と微笑んだ。








瞳を開くと、暗闇の中に見慣れた天井が見えた。
メフィストは、ゆっくりと寝台から起き上がった。

「また――この夢、か」

孤独な夜の中に、その声は直ぐに溶けて消えて行った。

「彼は、一体――?」

白い医師の思惟は長くは続かなかった。
メフィストは再び寝台に身を預け、ゆっくりと瞼を閉じた。



後に〈新宿〉と呼ばれる街が誕生する、数か月前の夜の事であった。





2人が出会う前のお話。
せつらが(〈新宿〉として、無意識に)呼んだ。それに導かれたメフィスト先生とか?
所謂、僕らが出会ったのは偶然じゃない!――的な?

実は、詩人 中原中也の「幻影」という詩を基に書いたお話でした。
といっても、いい様に変えてたりして、大分趣きが違ってしまいましたが・・・
本来の「幻影」は、中也らしい独特の空気があって、とても好きです。

一応、添付してみましたので、宜しかったら是非↓↓





幻影     中原中也

私の頭の中には、いつの頃からか
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。

ともすると、弱々しげな手付きをして、
しきりと手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あはれげな思ひをさせるばつかりでした。

手真似につれては、唇もうごかしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見てゐるやう――
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは、分かりませんでした。

しろじろろ身に月光を浴び
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付きばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。





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