天窓から降り注ぐ月光がキラキラと水面をなぞる。
蒼く揺れる波に任せて、白い影が浮かんでいる。
純白のケープは水を含んでもなお白く、流れる漆黒の髪は月光をも吸い込む。
美しき医師は、独り、プールの水面に浮かんだまま、自らは微動だにしない。
水が意識を持ち、この美しい男を捕らえているかのように。
黒い瞳は白い瞼に覆われ、長い睫が僅かな月光を浴びて静かに煌く。


「何をしている?」


黒い声に僅かに遅れて、メフィストは瞳を開いた。
突然掛けられた声に驚いた様子もなく、ゆっくりと白い身体を起こした。
小さな水音を立てながら彼は底に足をつく。
長い髪はぐっしょりと水を含み、白い頬やケープに重たげに纏わる。
キラキラと水を滴らせながら、彼は声のする方へ振り向いた。


「どうしたね、めずらしい――せつら」


入口付近に立った長身の男は、冷水のような瞳で水中に佇むメフィストを見つめていた。
「何をしている?」
もう一度、せつらは同じ言葉を繰り返した。
「見ての通りだよ、せつら」
「何の意味がある?」
「心身を落ち着かせるため――人に限らず、全ての命は水から生れ、水に返っていくのだから」
ふ――と、せつらはその美しい口元を歪めた。
「本当にそう思っているのか、メフィスト?」
口元では笑みを浮かべながら、その黒瞳は冷たくメフィストを射抜く。
メフィストは、ゆるゆると首を振った。
波紋が不規則に広がる。
「いや」
「ならば、何の意味がある」
もう一度、メフィストはせつらの瞳を見つめかえした。


「闇を乞うて」


メフィストは静かに呟いた。
「せつら。人を人とするのは、一体何だと思う」
「・・・さて」
「誇り――だよ、せつら。人としての、ね」
「・・・・」
「人は、自らが人であると思っている。人であることに下らぬ優越感を持っている。人でなくてはならないと思っている。だからこそ“人”なのだ。生物学的、化学的な数字の違いでは、決してないのだよ」
「・・・・」
「クローンや有機生命体がどうこうと騒ぎたてるなど、時間と労力の無駄だ。問題があるのならば、初めから人でないことを認識させればいい。人と認識させて育てればいい――それだけのことだ」
「・・・・」
「もし例えば――私のダミーに人として認識させ、外国で生活させたならば――そのダミーは“ドクター・メフィスト”として――1人の人間として存在する。もしどちらの“ドクター・メフィスト”も知った人物がいたとしても、双子の兄弟だとでもいえば、それでいい」



「私はね、せつら」
メフィストは、幾分疲れたような、甘えるような声で云った。
「“人”は、闇から生まれ、闇に返っていくのだと思うのだよ。仮令、肉体は水や土に返ろうとも・・・」
「・・・・」
「だから、こうしていたのだ。瞳を閉じ、身体の力を全て預けて――」
「・・・・」
「今はとどかぬ闇に、少しでも近づける気がするから――」



「・・・メフィスト」
せつらは、一歩前に踏み出した。
コートを僅かに揺らめかしながら、確実に真っ直ぐと進んでいく。
真っ直ぐ、メフィストの元へ。
メフィストはただじっと見つめていた。
黒い足が水面を渡り出しても、その瞳はせつらを映し続けた。
白い医師の表情が変わったのは、彼の間近くまで来たせつらの足が、水面ギリギリに張った妖糸から一歩逸れた時だった。
声を上げる暇もなく、黒い身体は法則に従って水中へと沈んだ。
「あっ――」
派手に広がる水飛沫を避けるように、メフィストは咄嗟に手をかざしながら顔を背けた。


せつらの黒い腕は、メフィストの身体をしっかりと抱きしめた。
頭から水を被り、雫を滴らせたせつらの腕の中に、メフィストは抵抗もせず大人しく身を任せる。


「無意味だな、メフィスト」


せつらの、鋭く透き通る声が響く。


「とどかぬと、何故思う」


メフィストの耳を冷たく擽る。


「私が、世間で何と云われていると思う、メフィスト」


黒い声が、静かに呟く。



「“闇”だ――」











突発的な話。
湯船で潜りながらふと思いついたはなし。
でも、ドクターはこんなこと考えないですが・・・
私、と名乗るせつらさん好きだなぁ、私。


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