「メフィスト」
「なにかね?」
「・・・・・・。」


青い光に満ちた院長室に、世にも美しい白と黒。
ドクター・メフィストと秋せつら。
今日は、せつらの仕事の話できていたのだが・・・・・・

「あのさ・・・・・・」

再び、その美しい顔に困惑をにじませて口を開くのは、神が初めて魅了された色にふさわしい黒。

「?だから、なにか、と先ほども聞いたが?」

美しい髪をケープの上に滑らせ、小首をかしげ、どこか楽しそうな、世界が初めて見惚れた色にふさわしい白。
楽しそうなのは、理由に気づいているからではなく、単純に目の前の人物が自分に関して何か思い悩んでいるからであろう。

再びの沈黙。

せつらはたっぷりと間を開けてから、思い切って口を開いた。

が、その時―――

『――――。』

ブザー音がせつらの言葉をシャットアウトした。
メフィストはせつらから体の向きを外し、

「何かね?」

指輪がきらめき、そっと、例の闇色の声で問いかける。
うかび上がったホログラフィーの婦長はその冷たい顔に、多少の困惑、あるいは疲労を浮かべていた。

『いつもの刑事さんがお見えです。』

メフィストは、ちょっと考えて、

「通したまえ。秋さんにも引き合わせておきたい。」
『かしこまりました。』

ホログラフィーが消えると同時に、メフィストの肩に、漆黒から除いた白い繊手がかかった。
この医師にしては珍しく驚いて、振り返るメフィストに、

「会うな。」
「は?」

思わず神の造形のような顔に困惑の色を浮かべるメフィスト。
それ以上に困惑した、というよりも焦ったような様子のせつら。

「今は、会うな。」
今は?」

何か言おうと、せつらが口を開いた途端、またしても、

『コンコンッ』

ノックの音がせつらの声をシャットアウトした。

「殺人課の朽葉です。」
「はいりたまえ。」

思わず条件反射で言ってから、メフィストはせつらへと目線を戻した。
せつらの美しく流れるような眉がきつく寄せられている。
日頃の脱力を考えると、相当な努力である。
さすがに心持ち不安になって、メフィストは何か手を打とうとしたが・・・・・・

「失礼します」

例によって例の通りのよれよれ姿で、朽葉刑事が扉を開けた。
そして―――

「あっ!こりゃ、お客さんで?うお、物凄い、なんというか・・・・ええ。」

最後の方は、口元がだらしなく開いて――無論、くわえた煙草は落ちなかったが――ほとんどきちんとした音になっていなかった。
たたずむ、美そのものである黒衣の青年に、一瞬にして骨抜きにされたようであった。

しかし、せつらは相変わらず苦い顔をしている。
メフィストが、どうしたものかと思案し始めた時、

「あれ、先生、なに隠れてんですか?」

いつの間にやらせつらはメフィストの前に立っていて、朽葉からはよく見えないようなのだ。

せつらの顔がさらに険しくなる。

メフィストはしばらく逡巡し、結局一歩横へ出た。
その途端、

「・・・・・・・せ、先生・・・・」

朽葉の血行の悪そうな顔にみるみる朱が上った。

「な、え?・・・お?」
「どうしたね。」
「いや・・・・だって、」

朽葉はとろける脳で、じっくりとメフィストを観察した。

小首を傾げるメフィスト。
険しい顔のせつら。

「雨にでも・・・・降られたんで?」

そう、なんということか、メフィストの美しい姿は、しっとりと水分を含んでいたのだ。

少し触れるだけでも吸いつきそうな肌。
湿り気を帯びて荒く、なおかつ美しくまとまりを作った長いまつげ。
水を垂らしたように濡れる唇。
そして、なによりも、その白い姿を覆う、乾ききっていない美しく長い黒髪が、水気を含んだ適度な重さをもって、すべてを一つに落ち着かせていた。

美しい。
そして、妖艶だった。

「だから、や、だったんだ。」
拗ねたようにそっぽを向くせつら。

常日頃の絶対的美しさとはちがう、さまざまな危険性を帯びた美しさだった。

「そとは雨が降っているのかね?」
「いや、・・・よく晴れてますね。――じゃ、なんで、こう、・・・・心持ち湿ってるんです?」

入浴直後でね――と、白い美貌が答えた。

「にゅにゅにゅ・・・・・・入浴っっ!!!!?」
「私が風呂に入るのがおかしいのかね?」
「いいいいいいいや、―――その」

朽葉刑事の顔に朱が上り、青ざめ、そしてまた赤くなった。

「秋さんが早く訪れたのでね。髪を乾かす間が足りなかったのだよ。」
「おおぉ・・・・・そりゃ、なんというか、壮絶ですな。」

この眼前にある美貌の持ち主が――魔界医師が、普通の人間のごとく入浴するとは考えもしなかったのである。
でかくて、王宮にあるような風呂なんだろうな――と朽葉刑事は思った。
白い湯船に、この世のものとも思えぬ芳香漂う白い湯。
あぁ、そうだな。やっぱ、白が好い――と刑事の口元がだらしなく緩む。
想像がみるみる危険な領域へと進んでいく。
白い、どんな名工が削った彫刻よりも美しい足が湯船に――――

「うげっ!!」

つま先が湯に触れる直前に、全身を駆け抜ける激痛で意識が引き戻された。

たっぷりと数秒間――朽葉には永遠にすら思えた――激痛が続き、ようやく解放されたときには、全身が汗でびっしょりだった。
「どうなさった?」
「・・・・いや、もう大丈夫です。」
メフィストは、眉をひそめて、
「せつら?」
「しーらない」
そっぽを向いたまま言った。

いやぁ、天罰ですな――と十字を切る朽葉。
「いつからキリスト教信者に?」
「あ、ノリです。いまの。」

刑事はしばらくへらへらと会話をしてから、メフィストと今夜飲みに行く約束をして帰って行った。



朽葉刑事が去った直後の院長室――――

「メフィスト・・・・」
「なにかね?」
「なにかね?じゃない!」
せつらは勢いよくメフィストの方を振り返った。

「おまえ、自分の容姿をわすれてるんだろ?」
「――どういう意味かね?」

せつらはぐいっとメフィストの美しい顔に、己の美しい顔を近づけた。
メフィストの目が見開かれる。

「・・・・・綺麗だってこと。」
「っ!?」

せつらはすいっとメフィストから離れ、背を向けた。

「メフィスト」
「・・・・・何かね?」

動揺を隠せず、メフィストの声はかすかに震えた。

「今夜、あいつと飲みに行く約束してたよな。」
「・・・・・・」
「キャンセルしろ。」

茫洋とした、それでいて有無を言わせぬせつらの口調。

「で、今夜は僕と“私”と飲みに行く。わかった?」
「・・・・承知した。」

よし――とせつらは呟いて、
「それから・・・・」
「?」

せつらはくるりと振り返り、

「以後、風呂上がりはと“僕”以外には見せないこと。」

思わず固まるメフィストに微笑んで、院長室を後にした。








「余裕がなくなったね。」
「あの刑事、生かしてはおかん。」








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そもそもの出発は、メフィスト先生の髪の毛がお湯に泳ぐ図はさぞかし美しかろうという俺のけしからん妄想から。
深く考えずに書いたせいで、最後がぐだぐだに。