彼は、世界の終わりを歩いていた。
辺りには、錆びた鉄のような匂いが立ちこめ、生のある者の気配は微塵もない。
その中を、彼は口元に仄かな微笑さえ浮かべて歩いて行く。
その足取りは軽やかで、ダンスホールを彩る華のようだった。
横断歩道の白い部分だけを選んで渡り、その橋の前に立った。
彼は少しだけ首を傾げた。
遠い昔に来たことがある気がした。
彼は、少し迷ったが、端に足をかけた。
その街は、朱かった。
ビルも歩道も信号機も駐車された車も。
下に転がる、人の形をした物も。
黒を吸い込みすぎた赤だった。
彼は物珍しそうに、下の残骸を見つめた。
どうやら、皆、それぞれ足りない部分があるようだった。
右腕がナイ。
左の足首から下がナイ。
耳がナイ。
指が7本ナイ。
尻がナイ。
首がナイ。
首がナイ。
首がナイ。
首が、首が、首が・・・・
彼は、つまらなさそうに、足元の物を蹴とばした。
ころころとよく転がった。
彼は、唐突に帰りたくなった。
ところが、気づいてみると、自分は、いったい、どこに帰ればいいのか解らなかった。
取り敢えず、引き返そうかと、振り返った。
「 ― ― ― 」
誰かが、自分を呼んだ気がした。
だが、よく考えると自分の名前とはどんなものだったろう――と、彼は考えた。
「 ― ― ― 」
何処からだろう――と、彼は辺りを見回す。
「 ― ― ― 」
ふと―――目を止めた。
全てを跳ね返すような白が見えた気がした。
足元の残骸を避けて、滑るように近づいた。
不可解な塵の集まり。
下に円状に転がる多くの残骸。
それらが、欠けた体で、傷ついた体で、朱にまみれた、原形をとどめない、或いは既にもう無い、その腕を、必死に、弱々しく、縋り付くように・・・・・
ある一点へと、伸ばしている。
彼は、息をのんで、その腕の先を見つめた。
そこは、白かった。
朱に染まったこの街で、そこだけが白かった。
美しく白い人間が横たわっていた。
血も泥も一滴も付いていなかった。
あまりに白くて、うつ伏せに倒れたその姿に欠けるものがないのは、当たり前に思えた。
彼はそっと屈んで、横たわる人物の顔にかかった、流れるような髪を退けた。
「あ・・・・」
この世のものとも思えぬ美しい男だった。
まるで、雲にもたれて眠る美神のようだった。
ただ、その瞼を閉じた顔に浮かんでいるのは、あまりにも切ない表情で。
「 ― ― ― 。」
今度は、はっきりと。
その、閉じた唇から―――――
彼は横たわる男の白い首を見つめた。
その美しい首にみるみる朱線がはしり――――
彼はそっとそれを持ち上げた。
絹糸のようなその黒い髪に指を絡ませる。
「ただいま。」
そう呟いて、微笑んで、
一つだけ、口づけを落とした。
死の味など、微塵もしなかった。
彼はその街を歩いていた。
その足取りは軽やかで、ダンスホールの華を思わせた。
その美しい手に、抱えるのは――――
日が沈んでいく。
朱い街が、紅くなる。
彼は、世界の終わりを歩いていた。
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記憶をなくした彼と、美しい抜け殻の話。
突発的に浮かんだ、
“横たわるメフィストに必死で腕を伸ばし息絶えた大量の残骸”
の絵図から。