メフィストがその店にたどり着いたのは、ただのきまぐれ、偶然にすぎなかった。


「“難解図書館”?」

古い木彫りの看板が、真新しいスチールドアにお情け程度についていた。

スチールドアの真横にあるウィンドウには、洒落たランプや置時計が並んでいる。
図書館――という名が付いている割に、本は一冊もなさそうだ。

「ふむ。」

一歩さがり、店構えを再び見る。
ビルとビルの間。
今まで、こんな店はなかったはずだが、無い筈の店があるなど、珍しいことではない。
こと、新宿においては。

メフィストは微笑した。
久しぶりの散歩で、なかなかいい店を見つけたことへの微笑だろうか。

白い、その繊手でドアを開ける。

中は、想像以上に広かった。
メフィストの体が店内に滑り込むと、ドアは背後で音もなく閉まった。

静寂。

ゆっくりと、店内を歩く。

ふと、目を留めた。

「ほう。」

それは、ガラスでできた小箱だった。
瑠璃色のガラスに、銀の装飾が付いている。
そっと、手に取った。

すると――

「お客様。それは、お客様には売れません。」

穏やかな声が後ろからかかった。
振り返るメフィストのごく近くに、その老紳士は立っていた。

「それは、お客様には、売れません。」

繰り返す。
セリフから察するに、店の人間らしい。
メフィストは、手元の小箱を見詰めて、
「売り物ではありませんでしたか。」
戻そうとした。
「いいえ。売り物です。しかし、お客様には売れません。」
メフィストは不思議そうに、
「何か、私に問題でも?」
どこか楽しそうでもある。
老紳士は、
「お客様は、ご自分のためにそれを買おうとなさっている。」
「誰かへの贈り物でなければ売れない――と。」
「ええ。この店にあるものは、全てそうです。」
そう言って、ほほ笑んだ。
何故自分のために買おうとしているとわかるのか――と、メフィストは聞かない。

ここは、新宿であった。

「では、今日のところは引き下がることにしましょう。」
「またのご来店を。」

優雅に白いケープがひるがえり、その美しい姿はその店を出た。









「ふーん。珍しいね。お前がそんなに気にいるなんてさ。」
「そうかね。」
「そーだよ。お前、なにかとウルサイから。」

翌日のメフィスト病院の院長室。
白い医師のもとを、黒衣の美青年が訪れていた。
秋せつらである。
煎餅を届けに来たついでに、世間話をしていて、昨日の店の話が出たのだ。

「で、何買ったんだよ。」
興味津々で訊いてくるせつら。
メフィストは少し苦笑いして、
「何も。」
「何も?」
ああ――と答えて、手元のカルテに目を落とす。
せつらは不思議そうに小首を傾げて、
「そんなに気に入ったのに、何も買わなかったのか?」
変ってるな、やっぱ――とぼんやり呟くと、代金を受けとって帰って行った。

一人、院長室に残されたメフィストは、

「そういえば、贈り物でなければ買えないというのを忘れたな。」

と呟いたきり、何事もなかったかのように仕事を再開した。









一週間後。
再び、散歩に出たメフィストを、バイクのエンジン音が呼び止めた。
振り返ると、見慣れたコート姿。

「せつら。」

愛車にまたがっている。
メフィストは、彼にしては珍しく驚きの表情を見せた。

「どうしたね。」
「“どうしたね”じゃない。」
ごく親しい者だけに分かる、せつらの感情変化。

怒っている.

「はい。コレ。」


そう言って、放ってきたのは、

「・・・・・誰が被るのかね。」
「お前に決まってるだろ。」

白いハーヘル。
茫然と受け取ったそれを見下ろすメフィストに、
「早くかぶんなさい。」
弟を叱る姉のような口調で命じる。

「かぶって、どうしろと?」
それでも状況がつかめないでいるメフィストに、
「ココ。」
シートの後部を手で二回叩いたのだった。







「いらっしゃいませ。]

穏やかな空気で、“難解図書館”は二人を迎えた。

ホラ――と、戸惑ったままのメフィストの腕を、せつらはどんどん引っ張っていく。

「コレ?」
「・・・・・。」

せつらがメフィストに示したのは、あの、瑠璃色の小箱。

「欲しいんなら最初っからそう言え。」
「どこで、知ったのかね・・・」
せつらのほうを振り返るメフィストに、ここ以外どこで知るんだ――と返した。
「お前がこの店を気に入ったって言うから、来てみたら、これが目にとまったんだよ。そしたら、店のおじいさんが“あぁ。美しい人は,みんなそれに惹かれるんですかね”って言うから。」
すみません――と奥の方で例の老紳士がわびた。
「おまけに、贈り物としてじゃないと買えないって言うじゃないか。」
それも言わなかったろ――のほほんと憤慨するせつらを見て、メフィストは

「買って・・・・くれるのかね・・・。」

何しろ、せつらからのプレゼントである。

「そのために連れてきたんだろ。」

当たり前のように言うせつら。

「すまない。」
「ありがとう、でしょ?」
「・・・ありがとう。」

せつらは、幸せそうにうっとりとするメフィストを満足げに眺めて、

「これ、包んでください。」

小箱を老紳士に渡した。







「さて、どうする?メフィスト。」

難解図書館を二人で出て、すぐにせつらが尋ねた。
桜色の包を両手で抱いたまま、メフィストは首をかしげた。
せつらは、停めてあったバイクに跨ると、
「次、何処行く?」
「次?」
きょとんとするのを、楽しそうに眺めて,

「しょーがナイから、デートしてやる。」


微笑した。




その後、“難解図書館”は美しい二人組が常連客となる。






因みに、デートの翌日の新宿新聞の一面が、バイクに二人乗りする美しい黒い人捜し屋と、美しい白い医師だったのは、言うまでもない。











くだらなっっ(汗)
烏兎さんの“散歩甘々ネタ”というリクエストから。(結局リクエストほとんど無視:汗)
せつらの愛車で2ケツする二人が書きたかっただけです。(←正直)
因みに、店の名前は適当です。センスがなさすぎる。
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