死に至る病
<西新宿>の老舗、秋せんべい店。
観光客・<区民>問わず幅広い客の詰め掛けるこの店は、店主の顔だけで売っていると陰口を叩く向きもあるがとかく繁盛していることには変わりない。
しかし冬の陽の落ちかけたこの時間は、ようやく客足もひと段落、バイトの娘もほっとひと息――と、ふと硝子戸の向こうに目を遣った彼女の顔がみるみるとろけた。
黄昏の薄闇の中、淡く光を放つような純白の美の化身。
此の世ならぬ美しさには店主で慣れているはずのバイト娘にも、<魔界医師>の美に対する抗体は備わらぬらしい。
しかし、一瞬で正気に返り医師が扉を開ける前に飛び出したのは、さすがに秋せんべい店の店員と言うべきだろうか。
今まさに入ろうとしていた扉がいきなり開いたのに、僅かに驚いた顔をしたメフィストであったが、彼女の続く台詞にその美貌を引き締めた。
「先生、いいところに来て下さいました――助けて下さい!」
「どうしたのだね?話したまえ」
ドクター・メフィストは、救いを求める者を決して疎かにはしない。
彼の美貌を真っ直ぐ見ないよう、目線を逸らしながらも懸命に訴えるバイト娘の話に真剣に耳を傾けたメフィストは、すべて聴き終えると無言で店の奥――秋DSMセンターのオフィスにして秋家の茶の間――に踏み込んだ。
「メフィスト、一体どーした?勝手に入ってくるなよ」
迎えた春風駘蕩の声は、半纏に包まりコタツから頭だけ出した店主――秋せつら、のものである。
迷惑そうな様子も何のその、つかつかと歩み寄ったメフィストは彼に厳然と命じた。
「せつら、すぐに其処から出たまえ。命に関わる」
「ほえ?」
“店長が、店長がコタツから出てこないんです!”
そのバイト娘の訴えは、余人ならば一笑に付したであろう。
しかし、メフィストの美貌は曇りなき刃の鋭さだ。
<魔界医師>――ドクター・メフィストとしての顔であった。
彼が<魔界医師>としての忠告を行う時、それがたとえどんなに理不尽に思えようとも、特別に従えぬ理由が無いならせつらは聞き入れる。
それが身を守ることになると知っている――藪だの何だの言ったところで、メフィストの技量と職業意識には絶対の信頼を置いている、からだ。
しかし、この時のせつらの応えは
「やだ。……めんどくさい」
であった。
状況を考えれば、あまりにありふれた応答であったが、医師の表情はますます険しくなった。
そうして、艶かしい朱唇がきっぱりと、告げた。
「間違いない――…君の病名は、コタツムリ病だ」
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「はぁ?……ふざけんな寝言は寝て言え、藪」
美しい若者が、胡乱そうにそう返したのも無理からぬ。
しかし、勝るとも劣らず美しい医師は本気も本気であった。
「ふざけてなどおらぬ。……この1週間、コタツの中で衰弱死している者が多発していてな。調べると、皆一様にコタツと身体の一部が融合していた。ある種の妖物によって引き起こされる、このコタツムリ病の患者は極度の至福感と無気力感に侵され、食事も摂らずコタツに引き籠り、やがて干乾びて死に至る」
「店長、今直ぐ出てきて下さい私店長の干物なんて見たくありません!」
「えー…」
淡々と金鈴の美声が解説するコタツムリ病の詳細に、心配げに覗き込んでいたバイト娘は悲鳴を上げたが、当の本人は亀のようにコタツに潜ったまま面倒臭そうだ。
それを見て深々と溜息を吐いたメフィストは、バイト娘に風呂を入れるように指示してからコタツへと近寄った。
「いかんな、重症だ。ただちに治療を行う必要がある」
「大丈夫だって、ほっといてく…いたたた何するやめろ」
白い繊手がせつらの襟首を引っ掴み、無理矢理コタツから引きずり出そうとするが、その美しさからは想像出来ないほどの力を込めてメフィストが引っ張ってもびくともしない。
常識的にはコタツごと引きずられそうなものだが、コタツ本体はまるで畳に固定されているかのように動かない。
面妖な現象にメフィストの柳眉が寄せられた。
優雅なれども悩ましい憂いの美神と化した医師は、慌てず騒がずせんべいとみかんと茶と新聞を脇に置き、天板を外してコタツの解体に掛かる。
すると、ああ、なんということか。
今まさに引っぺがされようとしていたコタツ布団が、まるで巨大なエイのようにぶわりと巻き上がり、白い医師を飲み込まんと覆いかぶさろうとしたのである。
しかし、メフィストの針金が、疾る。
分厚い綿布団の真ん中に、正確に煌く針金が撃ち込まれ――…大海を悠々と泳ぐマンタの如く翻ったコタツ布団は、呆気なく医師の足許にくずおれた。
あとには、骨組みだけ残ったコタツの中でぽかーんと転がったせんべい屋の主人だけが残されるのみ。
「ドクター、お風呂沸きました!」
<魔界医師>とコタツ布団との奇妙奇天烈極まりない、一瞬の死闘の終結を見計らったかのように、バイト娘の声が響く。
「ああ、ありがとう。すまなかったな、仕事に戻ってくれたまえ」
そうして、片手にせつら、片手にコタツ布団を抱え上げたメフィストは、布団を洗濯機に、風呂に美貌の若者を、それぞれ放り込んだのである。
バイト娘は風呂場の方から、盛大なせつらの罵声と水音、そしてせつらの叫びよりも大きなメフィストの悲鳴が聞こえてくるのを耳にしたが、賢明にも何も聞かなかったことにした。
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「なあ、いい加減機嫌直せって」
珍しく、遠慮がちなせつらの声を背中に受け、仏頂面も美しきドクター・メフィストは熱い緑茶を啜った。
いつもの白ケープ姿ではなく、せつらのものと思しきパジャマに赤い半纏、その上からこれもせつらのものらしき掛け布団を掛け、しっとり濡れた髪にタオルを巻いている。
「どうせ私は藪医者だ。治療しようとした患者に、あんな真似をされるとは」
「だからごめんってば」
風呂場で何があったやら、完全にへそを曲げてしまったメフィストに、同じくパジャマに半纏姿のせつらも辟易した様子だ。
「コタツムリは洗剤に弱いのだ。ゆえに、コタツと癒着する前なら感染者を風呂に入れてコタツ布団を洗濯すればそれで済む」
「うん、わかったから……せんべい食べる?ざらめあるよ」
今度は食べ物で釣ろう作戦である。
この若者が相手の機嫌を取ろうとは、実に珍しい。
しかしメフィストは差し出されたせんべいを無視して文句を言い続ける。
「それを変態だのセクハラだのあまつさえ、やられる前にやりかえしてやるとは――…」
「わ――――っ!」
彼としては最大限に慌ててメフィストの言葉を遮ったせつらは、メフィストの口にざらめをもぎゅっと押し込んだ。
「やめてくれあの娘に聞かれたら何言われるかわかんないじゃないか」
「―――……ほう、事実は事実だと思うが」
ばりばりとせんべいを噛み砕いて飲み込んだ医師が据わった目でせんべい屋を睨む。
太陽すら水晶のように凍りつきそうな眼差しであった。
頭を抱えたせつらが、ふと顔を上げた。
メフィストが、おやと黒瞳を瞬く。
「よし、わかった。……話はじっくりあちらで聞こう。私が、な」
「………せつ…」
パジャマに半纏姿でも、ぞっとするほど怜悧な光を瞳に浮かべたせつらは、メフィストを巻き寿司よろしく布団ごと糸で括り、奥の私室に引っ張り込んだ。
再びメフィストの悲鳴が聞こえた気がしたが、バイト娘は今度も何も聞かなかったことにして店長不在のまま店仕舞いを終えたのである。
伯サマから、相互リンク記念に頂いたss。
「せつメフィで日常風景」とお願いしたら、こんなに素敵な小説がっ!!
感激ですv
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