何処とも知れぬ青い部屋に美しい影が3つ、黒檀の机を挟んで存在していた。
白い医師は机の向かいに立つ2つの黒い影を交互に見つめながら問うた。
「心当たりは、本当にないのかね?」
ない――と2つの影は答えた。
「気が付いた時には、この状況だった。」
片方の影が茫洋と続ける。
では――と、メフィストは微かに首を傾げた。
「どちらが本物だね?」
「僕」
「私」
左右の黒美は、酷似した容姿であり、全く異なる人物でもあった。
――秋せつらと、秋せつら。
「目下、治療法は不明だ。暫くは病院にいたまえ。部屋はある。」
医師の美声に1人は無言で頷き、1人は首を振った。
「やだ。」
「どうしてだね?」
「お前がいるから。――僕は出掛ける。」
「何処へ?」
もう1人のせつらが訊いた。
「捜せ。」
春風のような声が響いて来た頃には、院長室の扉は閉まるところであった。
「君はどうするね、せつら?」
いつの間にか机前を離れ、黒い魔人の横へ来ていたメフィストが訊ねる。
愛おしむような、美しい響きであった。
「どのくらいで分かる?」
「分からん。――戻りたいかね?」
メフィストの瞳が、せつらを映した。
「僕は嫌がるかもしれん。私も、どちらでも構わない。ただ――」
「君自身のことかね?」
「“私”と離れた“僕”、“僕”と離れた“私”。どうなるのか――私でもからん。」
せつらは小さく首を振った。
「そのようだな。」
「分かったなら、出来るだけ早く治せ。」
「承知した。」
そう言って、白い影は正面にせつらを捕らえた。
「私には、少々惜しまれるがね。」
耀く様な白い微笑が向けられる。向かう美姿は微動だにしない。
立ち尽くす黒美の肩に、白い硝子細工のような手がふれる。
その口元に、白い美麗な貌がゆっくりと近づいていく。
音もなく、まるでそれが自然の摂理であるかのように。
赤く整った唇が、美しい吻に触れる寸前でぴたりと止まった。
「――止めないのかね?」
白い吐息が、せつらの唇吻を撫でる。
「意外と、胆の小さい男だな。」
メフィストは静かに頭をあげた。目前の美貌は口元だけで微笑んでいた。
「つれなくされ過ぎたみたいでな。」
「―――いま・・・」
せつらは、僅かに目を伏せた。
「“僕”は、いない。」
メフィストの瞳は、蒼くせつらを映している。
「――せつら?」
黒き美姿はコートを翻し、先刻もう1人のせつらが出ていった扉へ跳った。
そこでふと立ち止まり、白い医師の方を振り返る。
メフィストは、まっすぐせつらを見つめている。
「――副業、してくるよ。」
「せつら。」
「何か?」
「偶には、来てはくれないのかね?」
せつらは微笑んで見せただけで、青い部屋を後にした。
高田馬場。
色とりどりの煙が立ち上る〈魔法街〉の一角に、“僕”と名乗るせつらはいた。
見るからに古めかしい扉を勝手に開け、中に入っていった。
辺り一面、時を止めた花で埋め尽くされている。
すぐに奥から人の気配が近づいてきた。
「どうした?せつら。」
袖を捲りあげた黒いハイネックに黒のスラックス姿で現れた彼は、せつらを一目見るなりその美しい顔を僅かに歪めた。
「せつら、だろうな?」
「まあね。」
「何かあったのか?」
「うーん。」
ぼうっとしたような返事を返しつつ、せつらはキョロキョロと辺りを見回した。
「ここの御主人は?」
「ターク公はさっきから行方不明だ。いつの間にか消えやがった。」
幻十は、恨めしそうに言った。
「ふーん。で?幻十は何やってんの?」
「別に。強制的アルバイト。それより、紅茶でも淹れようか?」
「日本茶がいいな。」
「よかろう。せんべいはないけどね。その代り、何があったのか話したまえ。」
せつらがノックすると、暇なく扉は開かれた。
「いらっしゃいませ。」
美しい蒼黒の青年は、丁寧にお辞儀をして見せた。
「せつらは?」
「奥に。」
「失礼する。」
幻十は微笑みを浮かべて、せつらを招き入れた。
店となっている所の奥の部屋で、僕と名乗るせつらは机に突っ伏していた。
「せつら。」
「漸く分ったのかな?あの藪医者。」
「いや。」
「藪。」
「だが、あまり私たちで離れん方がいいだろう。」
うーん、などと捗々しくない返事をして、せつらは顔を逸らした。
そして、暫くの沈黙の後、消入るような小さな声がした。
「私―――どう思ってる?」
「別に。」
魔人は、無感情な声音で答えた。
「そう。」
「“僕”は、嫌いだ。」
「知っている。」
せつらは、向こうを向いたまま突っ伏している自分を見つめた。
「では、私は先に戻る。日没までには戻りたまえ。」
「・・・・仕事は?」
「今終わったよ。」
「御苦労さま。」
その声を聞いて、せつらは踵を返した。
「せつら。」
店先まで追ってきた幻十が声をかけた。せつらはゆっくりと振り返る。
「辛いものだな、幻十。」
どこか困ったような、楽しそうな笑みを浮かべている。
「それは、何に対してだ?」
「どう思う?」
「さあ。」
「つれないのは、私の方ばかりではあるまい。」
その言葉に首を傾げて微笑んで見せた幻十に、せつらも微笑んでみせる。
「また会おう。」
「ああ。また。」
黒い影は、色付き始めた夕陽の中へと溶け込んでいった。
アトガキ。
初・新宿モノ。
私(烏兎)はこの当時からせつメフィ(しかも、結構乙女なんじゃないか?)と思っていたのですが、相棒(薫衣せんせ)がバッチリメフィせつだったので、メフィ×せつら(私)という感じにしました。
分離ネタは、結構好きだったりします。
私と僕の会話とか、面白いし・・・
あと、幻十ちゃんも好きなので登場させました。しっかり。(ターク公はこの時からいたんですねぇ・・・)
兎に角、ご粗末さまでした。