「あれ、いないの?」
ノックもなしにズカズカと入ってきた黒い人は、開口一発そう言った。
「これは、せつら。主なら昨日から出張で区外へ出ていらっしゃるが・・・。何か用事かね?」
「何だ。折角、新作せんべ、持ってきてやったのに」
彼の左手に眼を移すと、確かに見覚えのある紙袋がぶら下がっている。
「主にわざわざ届に来るということは、余程の自信作か、何らかの下心でも?」
「お前、そういう所ばっか、アイツに似て。――後者の方だよ」
「では、お帰り下さい――とも言えんな。何せ・・・」
「大切な主の旦那、だからね」
「・・・・」
してやったり、と書いてある顔でふわりと笑ったせつらは、そのまま主のデスクへ向かう。
「これこれ。この椅子、座り心地がいいんだよね」
黒檀のデスクと共に置かれた大きな椅子に、漆黒の体を深々と沈めてしまうせつら。
このまま居座るつもりだろうことは明らかだ。
私は小さな溜息をついてから、手にしていた整理中の書類を棚に戻した。
「お茶は、緑茶で構わんかね?」
「で?何の用かね?」
そう訊いた相手は、応接セットの向かい側のソファに腰を下ろし、冷め始めた緑茶をすすっていた。
こうしてせつらと2人だけでお茶を飲むなどと言うことは滅多にない――というより、初めてかもしれない。
といっても、せつらは散々主の椅子で遊んで、先程漸く座り込んだところだが。
「何って?」
「新作せんべいに含まれていた下心だ」
「そういう言い方は止めろよ・・・。こないだのお礼だよ」
「はて?」
「お宅のダミーを一体、借りただろ」
確かに。数日前、せつらの副業関係で必要とかで、せつらのダミーを一体渡した。
「ああ。代金なら振り込んで頂いたはずだが?」
「ま、そうなんだけどね」
何となく戸惑いがちに、せつらは呟いた。
「結局、あのダミー、殺られちゃったんだけどさぁ――」
「そういう時の為に使うのでは?」
「でもさ、何か、ふと思ったんだけど・・・お前とかあのダミーとかって、どんな気持ちな訳?」
「気持ち・・・?」
「だって、早い話、身代り役ってことじゃない」
「特には・・・。私たちは所詮、ダミーだ。その事は何よりも理解している。主の代わりになる為のモノでしかない」
「そんなもんかねぇ」
せつらは納得いかない様だ。
「じゃあ、アイツが死んでこい、って言ったら、お前は死ぬ?」
「勿論だ」
「・・・・」
「そもそも、あの方自身がダミーであったとしても、同じように代わりに消える事については何も感じずに消えるだろうと、私は思う」
「・・・そう、かもね」
「何故、そのような事を?せつらにしては珍しい」
「僕もね、偶には色々考えるてるの」
茫洋とした瞳で、せつらは可愛らしくウィンクした。
腰の曲がった老婆が頬を赤く染めて、何度も礼を言いながら出て行くのを見送ると、私は小さく溜息をついた。
せつらが来たのは昨日の昼。
それ以来、何となく心がざわめいて仕方がない。
流石に診察中は微塵も思いださないが、こうした患者と患者の合間には、じんわりと黒く美しい記憶が甦った。
小さく頭を振って無理やり思考を切り替える。
(主は、夜にはお戻りになるだろうか・・・)
ぼんやりとしたまま、カルテを確認する。これが、今日の来院診察の最後の患者になるだろうか。
(この子は・・・)
どんな名書よりも美しいであろう筆跡で描かれた病名が、ふと眼にとまった。
コンコン――と控え目なノックの音。
「入り給え」
「失礼、します」
おずおずと入って来たのは、十四歳になったばかりの痩せた少年だった。
何度か見かけた事のある顔だ。今日が初めてではない。
「掛けたまえ。具合はどうかね?」
「あ、あの・・・・」
うつむいたままの少年が、小さく呟く。
「今日は、ご母堂は一緒ではないのかね?」
慈しむ気持ちは、どんな患者に対しても平等である。
それでも眼や脳は、彼の状態を正確に分析する。
「え・・・っと、その。せ、先生」
(これは――)
そう思った。
だが思った時には、既にほんの刹那遅かった。
痛み、とは違う。
眼の前の少年は、青白い顔を上げ、切なげに微笑んでいる。
早く救ってやらなければ、と思う。
少年の右腕の袖からは、灰色の棒。
否。あれは蜘蛛の足だ。
少年の右腕は、グロテスクな蜘蛛の足に変わっている。
その右腕は、前方に伸ばされている。
ゆっくりと視線で辿る。
痛み、ではない。違和感、と言った方がいい。
蜘蛛の足は、自身の腹部に吸い込まれている。
純白のケープが、朱に染まる。
ああ、少年は微笑み続けている。
先生、あのね――と彼はか細い声で言う。
なんと、切なげなのだろう。
ぼく、せんせいの血がほしいの。
ああ、私が救ってやらなくては。
だからね、せんせい・・・
私は、あの方の、身代りなのだから―――
「せんせい、死んで?」
少年の声を遠くに聞きながら、私はゆっくりと瞳を閉じた。
白い天井を見上げながら、ああ、ここは何階のどの病室だったか、と思った。
「起きたかね?」
「・・・・?」
起き上がろうと思ったが、力が入らない。
どうにか首だけを横に動かした。
「ここは診察室だ、君の倒れた、ね」
「しん、さつ」
確かに、自分が寝かされているすぐ横に、診察用のデスクがみえる。
そして、その前には、月光の美しさが座っていた。
「ドクター、メフィスト・・・戻られたのかね」
「つい30分程前だよ。丁度、君があの少年に刺されて倒れた直後だ」
「さ、されて・・・。っ!彼は?」
「病室で寝ている。君の応急処置もそこそこに、すぐにオペをしたからな。もう明日には退院出来るだろう」
「・・・・」
主は横の薬棚から麻酔消化剤を取りだしてきた。
「コレをのみたまえ」
「起き上がれないのだが・・・」
そういった私の言葉に、主は赤い唇の端をそっと持ち上げた。
こんな笑みを、最近見た気がする、と思ってすぐに思い至った。
やはり、この主のように美しい漆黒の青年。
こちらの対応に、してやったりと言わんばかりに微笑んでいた、彼。
「君にしては、失態だったな」
「・・・・申し訳、ありません」
「お仕置きが必要かな?」
「え?」
驚く私を余所に、主は液体状の消化剤をカップに適量注ぎ、それを一気に口に含んだ。
「ど、どくた・・・っん!?」
悪戯を企んだ無邪気な子供のような笑みを浮かべた、美しすぎる顔がゆっくりと近づいてきた。
唇に触れる、柔らかく冷たい感触と、口に広がる薬独特のほろ苦さ。
ふっと離れる気配に、若干の心のざわめいたのは、何だろうか。
「お仕置き、だ」
「は・・・?」
「ほら。もう、起き上がれるだろう」
言われて、漸く動けるようになって来た身体をゆっくりと起こした。
腹部に手をやっても、何の異常もない。
「ドクター・・・」
薬瓶を棚に戻した主、声を掛けた。
眼を覚ました時から、ずっと気になっていたこと――
「何かね?」
神さえ見惚れる程の美貌は、すでに何時もの表情しか映っていない。
本当に私は、あの方のダミーなのだろうか、と、思う時がある。
この美しさは、私にはない。
所詮、私は・・・
「1つ、お聞きしてもよろしいか?」
「はて?」
小首を傾げると、サラリと黒い絹の髪が流れた。
その一筋一筋に見惚れてしまう。
「どうして、私を――?・・・私は、所詮、あなたのダミーだというのに・・・」
他のダミーたちは、消えていった。
当然の事であったし、何か感じる事もなかっただろう。
せつらのダミーとて、同じ事。
所詮、ダミーとは、主の身代り――。
「君は、特別だから、かな」
「とく、べつ・・・とは?」
「君は、普通のダミーとは何かと違う」
「それは・・・承知している」
「君ほど、私に執着して来るダミーはおらんよ」
「・・・・」
「何処でどう間違えたものか、と研究する価値はある――と、思っただけの事だ」
それに、と主は続けた。
「身の回りの世話をしてくれる君がいなくなるのも、少々淋しい気もする」
あまり口煩いのは困るが――と、主は苦笑した。
ああ。なんて美しいのだろう。
心の隅を、美黒の影がチラついた。
主の想い人――。
そういう理由だけで、私は、彼を特別な存在と見なしているのだろうか。
ざわりと蠢く、この感情の答えを、私は知らない。
「どうか、したのかね?」
黙り込んだ私を覗きこんできた主の首に、私はふわりと腕を回した。
「ちょ、な、なにっ!!」
「やはり、私にとって、貴方が一番のようだ。主」
腕から解放されようともがく主を、ギュッと抱きしめて、私は言った。
暫くして、無理だと判断したのか、主は大人しくなった。
「当然だ。もしもせつらにでも乗り替えたら、その時こそ君の最期だ」
「そんな事は、百も承知だ」
そう言って腕を緩め、顔を向かい合わせる。
月の様な美貌は、不平不満と困惑で顰められていた。
そんな表情ですら美しい。
当然だろう。私の主なのだから。
「ドクター・メフィスト」
「何かね・・・離す気になったかね?」
「ありがとう、というべきだろうか」
「え?」
きょとん、とする唇に、自身のそれをそっと重ねた。
びくん、と驚いた気配が感じられた。
すぐに離れ、もう一度、主と向き合った。
黒水晶の瞳が見開かれている。
口をぱくぱくさせてながら、必死に抗議の言葉を紡ごうとするのを遮って、満面の笑みで私は囁いた。
「ご期待に添えるよう、これからも頑張らせていただく」
そういって私は、言葉も出ない主を置いて、診察室を後にした。
「さて、せつらは、怒るだろうか・・・」
誰にともなく呟いた言葉は、院長室へと続く白い廊下の中に消えて行った。
「ふみんしょー」初のキリ番だった100Hitのリクで書いたもの。
「せつメフィ←ダミー総帥のss」
・・・と言うことでしたが(汗)
書いても書いても、総帥はせつらにアタック(しかも受的に)してしまう・・・
う〜ん・・・。流石はメフィスト先生のダミーの事はありますね。
しかも、今回は、何があったのか、前半――というか大半、総帥が病みギミックでした。
最後の最後に、調子戻ってきたみたいですが。
総帥は、どちらかと言うと恋愛に絡んで来ないまま、只管「主、主」言っていたので、今回が初チャレンジと成りました。
コレを敵に回すと、大変だね、せつら(←ヒトゴト)
烏兎のせつらはヘタレてるからなぁ・・・
こんなんで申し訳ありませんっ!!
伯サマ、こんな総帥でよければ、貰ってやって下さいませ(滝汗)